いつも通っている道なのに、ある日は景色がきれいに見える。
普段は気にならなかった草花に目が留まったり、何気ない風の心地よさを感じたり。
反対に、忙しくて余裕がない日は、同じ道を歩いていても周りの景色がほとんど記憶に残っていない。
そんな経験はありませんか?
実は、こうした日常の見え方の違いには、私たちの脳が持つ「注意」の仕組みが関係している可能性があります。
今回は、心理学や脳科学における「注意資源」と「認知的柔軟性」という2つの観点から、心と身体の余白について考えてみたいと思います。
私たちの脳は、すべての情報を処理しているわけではない
私たちは日々、膨大な情報に囲まれて生活しています。
目から入る景色、耳に届く音、肌に触れる空気、身体の内側から生じる感覚。
さらに、頭の中では過去の出来事を思い返したり、これからの予定を考えたりしています。
しかし、私たちの脳が、それらすべての情報を同じように意識しているわけではありません。
脳には、今の自分にとって重要だと判断した情報を優先的に処理する仕組みがあります。
そのひとつが「注意」です。
たとえば、誰かと会話をしているとき。
周囲ではさまざまな音が鳴っていても、話し相手の声を中心に聞き取ることができます。
これは、必要な情報に注意を向け、それ以外の情報の処理を相対的に抑える働きがあるためです。
つまり、私たちが普段見ている世界は、周囲に存在する情報のすべてではなく、そのとき注意を向けた情報によって形づくられている部分があるのです。
注意資源とは? ― 心の余裕と情報処理の関係
心理学には「注意資源」という考え方があります。
これは、注意を必要とする作業に使える認知的な処理能力には限りがある、という考え方です。
たとえば、スマートフォンやパソコンを想像してみてください。
複数のアプリを同時に動かしていると、処理する情報が増え、場合によっては動作が重くなることがあります。
人間の脳も、まったく同じ仕組みではありませんが、似たような側面を持っています。
仕事の予定を考えながら、昨日の出来事を気にして、さらに明日の準備についても考えている。
そんな状態では、目の前のことに向けられる注意が少なくなってしまうことがあります。
特に、心配事や考え事が頭から離れない状態では、それらが注意やワーキングメモリと呼ばれる認知機能に負担をかける場合があります。
すると、普段なら気づけるような小さな変化を見落としたり、ひとつのことに集中しにくくなったりすることもあるのです。
ここで考えてみたいのが、「余白」というもの。
心に余白がある状態とは、単に何も考えていない状態ではありません。
必要なことに注意を向けながら、それ以外のことにも目を向けられる余裕がある状態。
そんなふうに捉えることもできるのではないでしょうか。
円柱は、見る方向によって形が変わる
ここで、ひとつ面白い例えをご紹介します。
「円柱」という立体を想像してみてください。
円柱を真上から見ると、円に見えます。
ところが、真横から見ると長方形に見えます。
同じ立体であるにもかかわらず、見る方向によって、まったく違う形に見えるわけです。
もし、真上からしか見たことがなければ、それが円柱であることには気づかないかもしれません。
しかし、少し視点を変えてみると、別の形が見えてくる。
そして、複数の方向から観察することで、その立体について、より多くの情報を得られるようになります。
これは、私たちの物事の捉え方にも似ているところがあります。
ひとつの出来事に対して、ある方向からしか見ていなければ、ひとつの解釈しか浮かばないかもしれません。
けれど、別の方向から眺めることができれば、今まで気づかなかった側面が見えてくる可能性があります。
このような視点の切り替えに関係するのが、次にご紹介する「認知的柔軟性」です。
認知的柔軟性とは? ― 物事をさまざまな角度から捉える力
認知的柔軟性とは、状況や目的に応じて、考え方や行動、注意の向け方などを柔軟に切り替える能力のことです。
たとえば、予定していたことが突然変更になったとき。
「予定が狂ってしまった」と感じることもあれば、「せっかくだから別のことをしてみよう」と考えることもできます。
もちろん、どちらが正しいという話ではありません。
大切なのは、ひとつの考え方だけに固定されず、状況に応じて別の選択肢も検討できることです。
認知的柔軟性は、こうした思考や行動の切り替えに関係しています。
では、この認知的柔軟性と心の余白には、どのような関係があるのでしょうか。
私たちは、強いストレスを感じているときや、認知的な負荷が大きいときに、柔軟な思考や判断が難しくなる場合があります。
目の前の問題に注意が集中し、別の可能性を考えることが難しくなることもあるのです。
一方で、負担が軽減されることで、状況を捉え直したり、別の選択肢を検討したりしやすくなる場合もあります。
つまり、心に余白をつくることは、物事をさまざまな角度から眺めるための土台のひとつになると考えられます。
ただし、余白があれば必ず正しい判断ができるというわけではありません。
複数の視点を持つことと、物事を正確に理解することは、必ずしも同じではないからです。
それでも、ひとつの見方にとらわれず、別の可能性にも目を向けられることには、大きな意味があるのではないでしょうか。
心の余白は、人間関係の見え方にも関係する?
このような注意や認知の仕組みは、人間関係について考える際にも参考になります。
たとえば、誰かの何気ない一言。
自分に余裕がないときには、その言葉を否定的に受け取ってしまうことがあるかもしれません。
しかし、少し落ち着いて振り返ってみると、
「もしかしたら、別の意味で言ったのかもしれない」
「相手も余裕がなかったのかもしれない」
と、違う可能性に気づくこともあります。
もちろん、相手の言動を無理に肯定する必要はありません。
ただ、自分がどのような状態で物事を受け取っているのかに気づくこと。
そして、必要に応じて別の視点から眺めてみること。
それだけでも、人との関わり方に変化が生まれるかもしれません。
人間関係における余白とは、相手を受け入れることだけではなく、自分の反応を観察し、どう関わるかを選べる余地を持つことともいえそうです。
身体の状態も、日常の見え方に関係している
ここまで、主に注意や思考についてお話ししてきました。
しかし、私たちの心と身体は、切り離されて働いているわけではありません。
睡眠不足や疲労、身体の不快感などは、注意や判断といった認知機能に影響を及ぼすことがあります。
また、身体の内側の状態を感じ取る「内受容感覚」も、感情や自己認識などとの関係が研究されています。
たとえば、疲れているときには、普段なら気にならないことが気になったり、周囲に注意を向ける余裕が少なくなったりすることがあります。
反対に、十分な休息をとり、身体が心地よい状態にあるときには、周囲の景色や音などに自然と注意が向くこともあるでしょう。
ここで大切なのは、心だけ、身体だけを別々に考えないことです。
呼吸や姿勢、睡眠、日々の活動量、そして心の状態。
こうしたさまざまな要素が関わり合いながら、私たちのそのときのコンディションを形づくっています。
だからこそ、心の余白を考えるときには、身体の状態にも目を向けてみる価値があるのです。
日常に余白をつくるためにできること
では、日常の中で心と身体に余白をつくるには、どのようなことができるのでしょうか。
特別なことをする必要はありません。
まずは、自分の状態に気づくことから始めてみましょう。
① 頭の中にあることを整理する
考え事が多いときには、気になっていることや、やるべきことを紙に書き出してみる。
頭の中だけで抱えていた情報を外に出すことで、考えを整理しやすくなる場合があります。
② 身体の感覚に目を向ける
肩に力が入っていないか。
呼吸はどのようなリズムになっているか。
足の裏は、どのように地面に触れているか。
こうした感覚を、良い・悪いと判断せずに観察してみるのもひとつの方法です。
③ いつもの景色を、少し違う角度から眺めてみる
通勤や散歩の途中で、いつもは気に留めないものに目を向けてみる。
空の色、風の音、道端の草花。
何かを発見しようと頑張る必要はありません。
ただ、普段とは少し違うところに注意を向けてみる。
そんな小さな体験も、自分の注意の向け方を知るきっかけになります。
なお、こうした方法の感じ方や効果には個人差があります。
大切なのは、自分に合う方法を見つけることです。
余白が生まれると、世界の彩りが変わるかもしれない
私たちは、日常を豊かにするために、新しいものを手に入れようとすることがあります。
新しい場所へ出かけたり、新しい経験をしたり。
もちろん、それも素敵なことです。
けれど、日常の豊かさは、何かを増やすことだけで生まれるわけではないのかもしれません。
いつもの道。
いつもの景色。
いつもの人たち。
周りの世界は、それほど変わっていなくても、自分の心や身体の状態によって、その見え方が変わることがあります。
これまで気づかなかった自然の美しさ。
何気ない会話の中にある温かさ。
身近な人の、今まで知らなかった一面。
そうしたものに気づくためには、何かを足すことよりも、まずは自分の中に少しのスペースをつくることが役立つのかもしれません。
余白とは、何もない空間ではなく、新しいものに気づける可能性を持った空間。
そんなふうにも考えられます。
いつもの帰り道。
ふと目に入った草花や、頬をなでる風が、なんだか気持ちいい。
そんな何気ない瞬間を大切にできること。
それも、心と身体を整えることの、ひとつの価値なのではないでしょうか。
当サロンでは、「心と身体にスペースをつくる」という理念のもと、身体の状態だけでなく、日々の過ごし方や自分自身への気づきも大切にしています。
忙しい毎日の中で、自分の心や身体に目を向ける時間を持つ。
そんな小さな余白から、日常の新しい彩りが見えてくるかもしれません。